沖縄 陶芸体験 漆喰シーサー作りしょっ
南部なちゅら店

広島県 陶芸体験,学習,教室,漆喰シーサー作り,沖縄観光しょっ!

全国には数百箇所にも上る教室があります。教室のスタイルもいろいろ
ご自分にあった教室が見つかると思います。

全国の体験陶芸、教室一覧

広島県 陶芸教室、体験

教室名      住所        電話番号
陶芸教室 童夢 広島県広島市西区三篠町3丁目23-11 082-238-3332
大濱道場新極真会/事務局 広島県広島市南区翠5丁目12-17 082-253-7350
吉浦陶芸 広島県呉市吉浦東本町2丁目4-4 0823-31-7616  
由華ちゃんの陶芸教室 広島県広島市中区白島九軒町5-6-102 082-225-0543  
山田山陶芸倶楽部 広島県広島市西区山田町187-3 082-274-0117
保田窯中屋陶芸教室 広島県東広島市黒瀬町小多田558 0823-82-6466
無二窯・佐々木求陶芸教室 広島県東広島市西条町寺家3713 082-422-0848  
マルニ陶芸教室 広島県広島市安佐南区長束3丁目20-5 082-238-8712  
ボンジュール陶芸研究所 広島県広島市佐伯区五日市5丁目10-23 082-923-7788
法眼窯 広島県呉市本通7丁目1-20 0823-24-3166
風越窯三島陶芸教室ヴィー(Vie) 広島県福山市寺町7-8 084-928-0757  
(株)毘沙門芸術村 広島県広島市安佐南区緑井3丁目406 082-879-5599  
ハル趣味の教室 広島県福山市南蔵王町4丁目9-4 084-927-8080
花やしき陶芸教室受付窓口 広島県広島市東区牛田早稲田1丁目5-11 082-222-7081  
はなぶさ陶芸教室 広島県広島市安佐北区可部8丁目13-7 082-810-0077
童夢陶芸教室 広島県広島市西区三篠北町19-9 082-238-4009  
陶工房しの 広島県広島市西区横川町3丁目6-10 082-292-6255
陶芸まつやま 広島県広島市西区己斐東2丁目10-63 082-271-7281
陶芸工房里の風 広島県広島市安佐南区長束西1丁目28-19 082-239-1724
陶魚山荘 広島県広島市安佐北区三入東2丁目42-10 082-818-2260  
こすもす陶芸教室 広島県広島市安佐南区毘沙門台2丁目15-13 082-877-0295  
くすのき陶芸教室 広島県広島市南区元宇品町16-7 082-254-7977  
ぎゃらりい木金土 広島県呉市中通1丁目4-10 0823-25-2104  
ガレリア・レイノ(株)レイノアートスクール 広島県広島市中区大手町3丁目7-3 082-245-2305  
川上陶器 広島県安芸郡坂町坂西3丁目11-40 0827-56-0540  
風の谷工房 広島県大竹市栗谷町大栗林 0827-56-0540  
上谷陶芸教室 広島県福山市松浜町1-13-34 084-931-5828  
いろは陶芸倶楽部 広島県広島市中区大手町3丁目9-7 082-241-1520  
アトリエ竺山 広島県尾道市瀬戸田町名荷1250-1 0845-27-0963  
安芸国焼・龍昇窯陶芸教室 広島県広島市東区温品町1963 082-289-5755
サンワの森備前焼工房香山 広島県神石郡神石高原町時安5020-4 0847-85-4011  
アトリエぱお/己斐教室  広島県広島市西区己斐本町1丁目5-10 082-271-0870

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●宮島焼
宮島焼(みやじまやき)とは、広島県廿日市市で焼かれる陶器。廿日市市は対岸に宮島を望み、その厳島神社参拝の際の縁起物として焼かれた。別名を神砂焼(しんしゃやき)、御砂焼(おすなやき)とも呼び、宮島の砂を粘土に混ぜて焼いている。
これは元々、近郷の賀茂郡の村人らが旅行に出かける際に、宮島の砂を「お砂守」として拝受し、無事に帰郷した際には、その砂で土器(お砂焼)を作り、宮島の神前に供えたという慣習に因んでいる。
歴史
宮島焼の走りとなる「お砂焼」が焼かれ始めたのは天明、寛政の頃と伝えられる。後に浅野藩の奨励品として宮島焼が奨められ、全国に名を馳せたが、藩政の弱体化もあって長続きしなかった。
1892年(明治25年)に再興、そして1910年(明治43年)には京都で修行を積んだ川原陶斎が本格的に窯を開いた。その後初代山根興哉(-こうさい)が京焼、萩焼の手法を採り入れた宮島焼を焼き始め、厳島神社の祭祀品も担当することになった。現在もこの川原、山根の2つの窯が伝統を継承している。
特徴
宮島焼は決して派手ではないが、素朴で独特の温かみがある。意匠は宮島のシンボルでもある紅葉や拝殿が多い。用途は土産物向けに、茶碗、小皿、土鈴などを焼いている。なお、いわゆる「お砂」は、粘土の中にごく微量を混ぜ込んでいるだけであり、見て判別できる物ではない。だが、その神域の「お砂」を頂戴することによって、縁起物、有り難き代物である価値を見いだせるのである。

●姫谷焼
姫谷焼(ひめたにやき/ひめややき)は、備後国広瀬村姫谷(現・広島県福山市加茂町百谷)で江戸時代(17世紀)に制作されていた色絵陶磁器。当時の備後福山藩主であった水野勝種の指示によって生産が始められたといわれている。肥前有田(伊万里焼)、加賀(九谷焼)とともに17世紀の日本国内で磁器の生産に成功した三つの産地の一つであった。ごく短期間操業した後に廃絶したため、現在では幻の焼き物とされている。
歴史
姫谷焼について、地元では、いつ、だれが、何のための製作したのか、どのような作品が製作されたのかなど、その実体は明らかでない点が多かった。そのため江戸時代後期の文化年間に備後福山で編纂された郷土史「西備名区」では、初代福山藩主である水野勝成が放浪時代に姫谷の陶工の家に身を寄せ、作陶していたこと。そして藩主になった折にその陶工に経済的援助をしたため、窯を閉じたという記述がある。しかし実際の陶器の時代的特徴と矛盾するため誤伝といわれている。このように江戸時代後期の時点で既に姫谷焼の伝承は相当曖昧になっていたといえる。 他にも「京の陶工が姫君と駆け落ちして皿を焼いた」という地名伝説や「キリシタンの陶工が九州からのがれてきて焼いた」といった伝説が残されている。
昭和時代に桑田勝三によって、当時の深安郡広瀬村大字姫谷で1936年の窯元遺跡発掘が行われ、この発掘調査が公表されたことで姫谷焼が全国的に認知されるようになった。また発掘調査直後に広島県の史跡に指定された。1969年から1978年まで大規模な調査が行われた結果、窯は大きくなく内壁の焼け具合などからも生産の規模は小さく期間も長くなかったと見られている。
製品の特徴
姫谷焼の生産が行われた期間は短かった。陶器が1660年代(寛文)から1685年(貞享2年)前後まで、磁器は1670年(寛文10年)頃からやはり1685年前後まで、およそ20年間生産されていた。主な陶工として市右衛門(? - 1670年没)が挙げられている。
当時の日本の色絵磁器(伊万里焼など)は中国風の作風が強く見られるが、姫谷焼はかなり和様化されている。これは伊万里焼の磁器製造技術を基に京焼の作風を取り入れたためと考えられている。
政治主導で開窯した経緯からか、日用品はほとんど焼かれず、陶器としては茶碗、茶入など逸品主義の茶道用具が、磁器としては染付の中皿など高級食器が焼かれたといわれている。ただし、備後福山藩と姫谷焼との関わりを示す文献が伝世していない。なお当地は水野氏廃絶後に福山藩から切り離され江戸時代後期には豊後中津藩の支配領域になっていた。そのため姫谷焼に関して、窯跡と作品以外に経緯を物語る物証は存在しない。
なお、姫谷焼はおよそ100点が現存しており、広島県重要文化財に指定されている作品もあるが、個人蔵のものが多く、一般人が鑑賞する機会は少ない。そのため、地元でも知名度は高くない。2008年に広島県立歴史博物館の企画展で現存作品の約半数が展示されたことがある。