沖縄 陶芸体験 漆喰シーサー作りしょっ
南部なちゅら店

京都府 陶芸体験,学習,教室,漆喰シーサー作り,沖縄観光しょっ!

全国には数百箇所にも上る教室があります。教室のスタイルもいろいろ
ご自分にあった教室が見つかると思います。

全国の体験陶芸、教室一覧

京都府 陶芸教室、体験

教室名 住所 電話番号
大日窯陶芸体験教室 京都市山科区勧修寺御所内町110 075-571-2231
洛西陶芸教室 京都府京都市西京区大原野東境谷町3丁目1-93 075-332-2914  
夢アトリエ陶芸スクール 京都府京都市西京区嵐山樋ノ上町18-6 075-864-0652
ゆう工房四条河原町校 京都府京都市下京区四条通寺町東入貞安前之町609 075-255-3377
遊鬼窯・熊本陶房 京都府船井郡京丹波町曽根清長61-51 0771-82-1729  
やきもの岡本陶房 京都府京都市東山区渋谷通大和大路東入上新シ町369 075-561-4738  
森陶器館 京都府京都市東山区清水2丁目254 075-561-3457  
(有)平安陶花園 京都府京都市東山区泉涌寺東林町37 075-561-8223  
プラナ倶楽部陶芸教室 京都府宇治市六地蔵奈良町6-4 =0774-32-3008
藤平陶芸(有)/本社工場 京都府京都市東山区六波羅竹村151 075-551-1264  
藤平陶芸(有)/五条店 京都府京都市東山区五条橋東6丁目503 075-561-3024  
風紋舎セカンドハウス 京都府京都市下京区東中筋通七条上る文覚町402 075-342-3555
ハヤサキ陶芸教室 京都府京都市下京区猪熊通仏光寺上る瀬戸屋町305 075-841-0952  
長谷川泰陶房 京都府長岡京市長岡3丁目15-27 075-955-6289  
橋本六臂 京都府綴喜郡井手町大字田村新田小字有王49 0774-82-3736
伯泉陶芸教室 京都府京都市山科区西野大鳥井町77-14 075-502-1925  
陶五月工房陶芸教室 京都府長岡京市神足1丁目17-13 075-955-0147
陶工房anen杏苑 京都府京都市右京区谷口唐田ノ内町1-2 075-462-9986  
陶芸教室風紋舎 京都府京都市下京区東中筋通七条上る文覚町402 075-342-3555
陶芸教室トコトコ 京都府京田辺市山手南2丁目3-2 0774-65-1469  
陶芸教室おきらく 京都府京都市東山区三条白川橋上石泉院394 075-762-5255  
陶アトリエ山崎 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字上ノ田34 075-956-0152  
つちくれ(塊)やきもの塾 京都府京都市山科区北花山大峰町35-43 075-595-4976
丹波陶苑 京都府綾部市渕垣町奥ノ谷35-乙 0773-42-1480  
瑞光窯陶芸教室 京都府京都市東山区今熊野南日吉町148 075-525-0055
鈴木健司 京都府京都市山科区小山一石畑46-1 075-592-7525
ジャルダン美術研究所陶芸教室 京都府京都市右京区花園猪ノ毛町9-1 075-464-1082
シンポ陶芸アカデミー 京都府京都市中京区烏丸通二条下る秋野々町518 075-251-2913  
昌陶房 京都府長岡京市下海印寺方丸2-3 075-952-1994  
秀峰堂 京都府京都市東山区今熊野南日吉町112 075-531-5527
志津川陶芸教室 京都府宇治市志津川南組55 0774-23-4500  
四季彩 京都府京都市右京区京北上弓削町初田2-1 0771-54-1651  
紫雲窯 京都府京都市山科区川田清水焼団地町3-1 075-581-7172  
工房蛍 京都府京都市右京区太秦桂ケ原町17-1 075-861-1424  
紅雪窯 京都府京都市伏見区桃山紅雪町185 075-601-8954  
京都玉凰陶苑 京都府京都市山科区川田清水焼団地町8-6 075-581-8234  
京都太秦工芸館 京都府京都市右京区太秦一ノ井町16-2 075-864-1188
華暘陶芸教室 京都府京都市右京区西院清水町154-4 075-314-7258  
賀茂窯 京都府京都市北区上賀茂御薗口町59-12 075-723-0554
嘉祥窯陶芸教室 京都府京都市東山区清水3丁目323 075-525-3560
イマジン陶芸教室 京都府京都市中京区両替町通二条下る金吹町480 075-212-5335  
逸孝窯 京都府福知山市夜久野町高内61 0773-37-0837
(有)一里工房 京都府京都市南区吉祥院内河原町3 075-313-7613  
アトリエ陶彩 京都府京都市南区久世大築町21-5 075-933-1434  
朝日焼作陶館 京都府宇治市宇治山田11 0774-23-2517
森陶器館 京都府京都市東山区清水2丁目254 075-541-1560
晋六陶芸館 京都府京都市左京区岩倉幡枝町322 075-721-3770
(株)コトブキ陶春 京都府京都市山科区川田清水焼団地町7-2 075-581-7195
藤平陶芸(有)/本社工場 京都府京都市東山区六波羅竹村151 075-561-3979
(有)谷口清雅堂清水坂本店 京都府京都市東山区清水1丁目262 075-561-2772

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●京焼
京焼(きょうやき)は日本の陶磁器の一種。粟田口焼、御室焼など京都で作られる作品の総称となっている。一度焼成した後に上絵付けを施す上絵付けの技法を用いた陶器が多く、作家ごとの個性が強いのが特徴。
京焼の始まり
近年の研究では、慶長年間初頭の1590年代末には京焼の生産が始まっていたと考えられている。この頃の作品については不明な点が多いが、低温で焼成し、鉛を含む釉薬が使用されていて、技法やデザインが多様なことが特徴である。
この時期以前の京都は、三条粟田口界隈に陶磁器の窯元が集中し、粟田焼が生産されていた。ただし、天正年間以前の16世紀中頃には三彩や交趾焼などの技術を持った中国人陶工およびその後継者達が製陶を開始していた。緑、紫、紺、黄など寒色系の釉薬が特徴で、押小路焼のルーツとなったと考えられている。
色絵陶器の成立
17世紀に入ると、茶道の興隆に伴って茶碗、茶入など茶陶の製造が盛んになった。具体的には、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人とその技法をベースとして高麗茶碗の写しなどが作られている。また、この頃に黒谷土と呼ばれる製陶に適した原料土が地元の山城国で発見されたことも陶磁器の生産の助けとなった。
京焼の中で最古の部類に入る粟田口焼(粟田焼)は、寛永年間には粟田口で生産を行なっていた。ここでは中国の茶器の写しや天目茶碗が作られた。同時期では、八坂焼は1640年、清水焼は1643年までには存在が確認されている。これに続いて御室焼、御菩薩池焼(みぞろがいけやき)、修学院焼なども作られた。
このような中、慶安3年(1650年)5月25日に金森重近(宗和)が参加した茶会に関する記述の中で、絵付を施した御室焼の登場が確認されている。さらに翌年か翌々年には赤色系の上絵付を施した御室焼が野々村仁清によって初めて作られた。調合・焼成の困難な赤色系の絵付を17世紀に成功させたのは、磁器を国内で初めて製作した伊万里焼(有田焼)以外ではこれが唯一の例であり、かつ陶器では国内初であった。
18世紀以降
野々村仁清の死後、跡を継いだ息子は技量が及ばず製陶から手を引いた。しかし仁清から直接技法を学んだ尾形乾山は優れた作品を多く残した。また、永樂了全より後の永樂家は保全、和全など優れた陶工を輩出し、千家に作品を納めて今日に至る。
技術的にも重要な存在としては奥田頴川が挙げられる。頴川は京焼として初めて磁器を製作し、この後を受けて青木木米や仁阿弥道八らも磁器の作品を多く残した。
明治維新後は体制や文化の変化に伴って茶陶の需要が激減し、廃業した者も多い。また、陶工の一部は日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)のような企業組織に入っていき、その技術を支えた。

●清水焼
清水焼(きよみずやき)は京都府で焼かれる陶磁器。清水寺への参道である五条坂界隈(大和大路以東の五条通沿い)に清水六兵衛・高橋道八を初めとする多くの窯元があったのが由来とされる。京都を代表する焼物である。
五条通の大和大路通から東大路通(東山通)に至る区間の北側に所在する若宮八幡宮社の境内には「清水焼発祥の地」との石碑が建っており、毎年8月8日から10日の「陶器祭」では清水焼で装飾された神輿が出る。
京焼・清水焼
伝統的工芸品産業の振興に関する法律にもとづいて指定された「経済産業大臣指定伝統的工芸品」および、京都府伝統と文化のものづくり産業振興条例にもとづいて認証された「京都府知事指定伝統的工芸品」(京もの指定工芸品)における名称は、「京焼・清水焼」となっている。

●楽焼
楽焼(らくやき)
1.日本の伝統的な陶器の一種。本項で詳述する。
2.素焼きの陶器に絵付けをする、素人の趣味のための手軽な焼き物。
楽焼(らくやき)は、一般的に電動轆轤や足で蹴って回す蹴轆轤(けろくろ)を使用せず手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形した後、750℃~1,100℃で焼成した軟質施釉陶器である。また、楽茶碗などとも呼ばれる。狭義には樂家の歴代当主が作製した作品や樂家の手法を得た金沢の大樋焼や京都の玉水焼などが含まれる。広義には同様の手法を用いて作製した陶磁器全体を指す。
千利休らの嗜好を反映した、手捏ねによるわずかな歪みと厚みのある形状が特徴である。 茶碗や花入、水指、香炉など茶道具として使用される。
歴史
天正年間(16世紀後半)、瓦職人だった長次郎が千利休の指導により、聚楽第を建造する際に土中から掘り出された土(聚楽土)を使って焼いた「聚楽焼」(じゅらくやき)が始まりとされる。 二代目・常慶の父、田中宗慶(一説に利休の子という)が豊臣秀吉より聚楽第からとった樂の印章を賜り、これを用いるとともに家号にしたことから楽焼となった、との説が広く知られる。 正統な楽家の楽焼を本窯、傍流の楽焼を脇窯という。
特徴
黒楽
初期の製法としては、素焼き後に加茂川黒石からつくられた鉄釉をかけて陰干し、乾いたらまた釉薬をかけるといったことを十数回繰り返してから1000℃程度で焼成する。焼成中に釉薬が溶けたところを見計らって窯から引き出し急冷することで、黒く変色する。これは美濃焼と共通する手法である。 天正9年(1581年)~同14年(1586年)頃に長次郎によって黒楽茶碗が焼かれたのが始まりである。
赤楽
赤土を素焼きし、透明の釉薬をかけて800℃程度で焼成する。樂家と関わりの深い本阿弥光悦や、樂道入の作品などが有名である。利休のエピソードに秀吉は黒楽を嫌い赤楽を好んだとある。

●朝日焼
朝日焼(あさひやき)は京都府宇治市で焼かれる陶器。宇治茶の栽培が盛んになるにつれ、茶の湯向けの陶器が焼かれるようになった。江戸時代には遠州七窯の一つにも数えられている。
朝日焼という名前の由来については、朝日山という山の麓で窯が開かれていたという説と、朝日焼独特の赤い斑点(御本手)が旭光を思わせるという説がある。
歴史
宇治地方は古くから良質の粘土が採れ、須恵器などを焼いていた窯場跡が見られていた。室町時代、朝日焼が興る前には、経歴も全く不詳な宇治焼という焼き物が焼かれ、今も名器だけが残されている。
今日、最古の朝日焼の刻印があるのは慶長年間のものである。しかし、桃山時代には茶の湯が興隆したため、初代、奥村次郎衛門藤作が太閤豊臣秀吉より絶賛され、陶作と名を改めたというエピソードも残っていることから、当時から朝日焼は高い評判を得ていたことになる。後に二代目陶作の頃、小堀遠江守政一(小堀遠州)が朝日焼を庇護、そして指導したため、名を一躍高めることとなった。同時に遠州は朝日焼の窯場で数多くの名器を生み出している。
三代目陶作の頃になると、茶の湯が一般武士から堂上、公家、町衆に広まっていき、宇治茶栽培もますます盛んになり、宇治茶は高値で取引されるようになった。それに並行して朝日焼も隆盛を極め、宇治茶の志向に合わせて、高級な茶器を中心に焼かれるようになっていった。
現在の朝日焼松林家は、この桃山時代よりの流れを汲むと称しているが、その根拠には疑問を呈している人が多い。
特徴
朝日焼は原料の粘土に鉄分を含むため、焼成すると独特の赤い斑点が現れるのが最大の特徴である。そして、それぞれの特徴によって呼び名が決まっている。
燔師(はんし)分かりやすく解釈すると、師匠が焼いた物という意味である。赤い粗めの斑点がぽつぽつと表面に浮き出たような器をいう。鹿背(かせ)燔師とは対照的に、肌理細かな斑点が見られる器をいう。鹿の背中のような模様から名付けられた。紅鹿背(べにかせ)鹿背の中でも、特に鉄分が多く、よりくっきりと紅色が見えるものを指す。